感謝の気持ち
今日はよく晴れました。日があたるとポカポカあたたかいです。でも風はまだまだ冷たいですね。早くコートが要らないくらいあったかくなってほしいです。
寒いと、背中がまるまって、下を向いて歩きがちです。今考えたんですが、寒くて縮こまってると、注意が足元に集中してしまい、視野が狭くなって、ちょっと危ないんじゃないでしょうか(歩行者の交通事故的な意味で)。
僕は車通勤をしていて、そこそこたくさん車を運転するんですが、ときどき「危ないなぁ」という場面に出くわします。いろんなパターンがあるわけですが、なかでも最近、下を向いたり、そっぽを向いたまま車道を横断する歩行者が結構いて、「あれ、今あの人何も見ずに渡ったなぁ。こわ」って思うことが、ちょっと多いような気がしてます。
これって、寒くて下を向いて歩ってるから、というのも一因なのかも知れないですね。ただ、僕はそれに加えて、もう一つ、思うことがあります。
それは、歩行者側に、「当然車は止まってくれる」という自信というか確信みたいなのがあって、「だから大丈夫」と思って突き進むのかなぁ、ということです。そら僕も人を引きたくはないし止まりますけど、それは過信ですよね。気づかなかったらどうすんのって。
でね、まぁみなさんは気を付けてね、ということで終わりでもいいんですが、「なんでそうなっちゃうか」という方を想像してみました。
あくまで想像ですが、そういう歩行者は、何度か車に譲ってもらった経験があって、そこから、「そっかここで横断しようとすると譲ってもらえるんだ」と学習し、いつしかそれが当たり前だと思うようになってしまったのではないかと考えてみました。
同じようなことが、車同士でもよくあります。例えば、信号が赤から青に変わったとき、直進するバスが、対向車線の右折待ちの普通車を先に行かせたりすることが、結構よくあります。交差点でも、ルール上優先される側にいるバスが、パッシングなんかして、低優先側の普通車を先に行かせたり。そこにちゃんと意思疎通ができていればいいんです。しかし、僕がこわいと思うのは、それを当たり前と勘違いして、無理なタイミングで突っ込んでくる車が、かなり多いっていうこと。バスは譲ってくれるのが当たり前になってるんだろうなと思います。
どちらにしても、初めて譲ってもらったとき、きっと相手に感謝したはずなんです。それが、いつしか譲ってもらうことに慣れ、当たり前と思うようになる。ちょっとさびしいなぁと思います。そうなっちゃダメだなぁと思います。
*
感謝の心を忘れないようにしよう
もっと身近なところでも、当たり前になってしまっているけど実は有り難いことってあると思うんですよね。
毎日のようにごはんを作ってもらっているとか、身を粉にして働いているとか、犬の散歩にいくとか、一緒にいてくれるとか、ね。
そういうのを「有り難い」ことと捉えて、しっかり感謝の気持ちを持ち続けたい、そんな感じです。
もしよかったら、これを機に、皆さんも棚卸ししてみませんか。当たり前のように思ってたけど、実はしてもらってること。
ではまたね!猫背なおしたい。。
道行く猫背の猫のイメージ(ashinariさんより)