Mitchie's Diary

-モヤっと考えたことを言葉にしてみる、ときどき愛妻日記、いつか家を買って猫を飼いたい-

イジメの笑いと卑怯な笑い、そうでない笑い。

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一般人における笑い力の要求レベルが上がっている。学校で、職場で、飲み会で、下手なこと言うと「つまらない」といわれ、期待されたボケをかまさないと「空気を読まない」と言われる。「いや俺芸人じゃないし」ってなかなか言えない。一億皆芸人時代。

イジメの笑い

テレビのバラエティ番組なんかでは、わりと当たり前のように、「誰かをブサイクだと言う」とか「仲間はずれにする」とか「叩く」とか「嫌がることを無理やりする」っていう行為がなされていて、それ見て笑うんだけど、それってイジメそのものだよね、良くないよね、という見方がある。
プロは、ボケとツッコミという確立された関係性の発展として理解してやっているのかなとは思う。理不尽で横暴なものがまかりとおちゃうっていう、そういう違和感が笑いになるって、分析してる人もいたと思う。以降、便宜上これをイジメの笑いと呼ぶ。

けど、これを学校とかで真似すると、受け取り方によってはイジメになっちゃう。真似するよね。うーん、いいんすかね。

受け入れられないパターンの卑怯な笑い

一方で、ドランクドラゴンの鈴木拓が逃走中という番組で、ちょっと卑怯というか、姑息な動きで賞金を手にしたりすると、バッシングされたりする。ルールには違反してなくても。この笑いを受け入れない人が多いよう。まぁそんなに褒めたもんでもないかも知れないけど、イジメはよくて卑怯はダメなんだな。
(受け入れてる人もいるのはそう思う)

この違いっていうのは、多分、視聴者(の多く)がどの立場で見ているかってとこなのかなと思う。イジメの笑いはイジメる側(加害者側)で見てるのに対して、卑怯の笑いは、姑息な奴(だいたい普段イジメられてる側)に、水をあけられる側(被害者側)で見てるのだろう。
あと、ドラマとかで悪役とか嫌われ役を好演した俳優が、世間から本当に嫌われたりするのも同じ話かもと思った。

そうでない笑いのパターン

そうでない笑いのパターンとして、「他人を貶めるんでなくて自分を貶す」とか、「そうでもないところを異常に褒める」とか、「普通なら怒るポイントで怒らない」とかある。(いま想像してるのはオギヤハギとか。まぁ、彼らの場合は、ときどき怒るヤハギの威力を増すために普段穏やかなのかも知れないけど)
これ、結構いいよね。モテそう。とはいえ、これは上記の悪い笑いが常套化してるからこそ引き立っていると思う。笑いは違和感からくるものとすると、全部をそれにしちゃうと違和感が薄れてしまう。

でも、あなたが、そのポジションの存在に気づいてるんだったら、そこを取るのが得だと思う。悪い笑いしかできない人たちは、養分さんなのである。

おわりに

人生に笑いは必要だと思う。僕も人と話しているとだいたい笑いが混ざるし、その方がいいと思う。でも、人を貶めるような笑いはやめて、敢えて褒めるとか、敢えて怒らないとか、そういう感じにしていこう。自分だけ。

(また別のパターンとしては、「変な動きで笑わせる」とかがあるけど、ちょっとジャンルが違うので置いておく。ちなみに、みっちーの家ではこれがメインである。週一回くらいはこれで息ができないくらい笑い転げて、幸せだと感じる。)

※写真はイメージで足成さんより。